☆岸和田城の歴史を訪ねる。
☆天守閣入り口
☆城門
☆岸和田城
☆隅櫓
☆堀
☆二の丸跡
☆岸和田城
通称: 岸ノ和田城、滕城、蟄亀利城、千亀利城
城郭構造: 輪郭式平城
天守構造: 複合式層塔型5重5階(1619年改)
現在:復興天守(1954年再)
築城主: 信濃泰義か
築城年: 応永年間(1394年-1428年)
主な改修者: 三好義賢、小出秀政、岡部宣勝
主な城主: 小出氏、岡部氏
廃城年: 明治4年(1871年)
遺構: 石垣、堀
指定文化財: 大阪府史跡
再建造物: 復興天守、櫓・門
☆岸和田城
建武元年(1334年)前後に、和田高家が現在の岸和田城跡から約500m東(野田町1丁目周辺)
に岸和田古城を築城。「岸の城」とも言われた。その後『日本城郭大系』によると信濃泰義
によって現在地に移築されたとしている。
羽柴秀吉の紀州征伐の拠点として再築城され、その急ごしらえで造られていたものを、
小出秀政が5重天守を上げる本格的な構えとした。松平康重の代に総構えと城下が整備され、
岡部宣勝の頃、城の東側に2重、西側に1重の外堀と寺町が増築されている。文政10年(1827年)
に天守を焼失。以降再建されないまま、明治4年(1871年)に廃城とされ、まもなく破却された。
岸和田城は猪伏山(いぶせやま)と呼ばれた小高い丘の上にあり、本丸と二の丸を合せた形が、
機の縦糸を巻く器具「縢」(ちきり)に似ていることから蟄亀利城(後に千亀利城)と呼ばれる
ようになった。城内にある岸城神社は千亀利と「契り」とをかけて、縁結びの神社として
知られている。桜の季節は花見の名所となる
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